⑧Extra:砂浜、テトラポッド、メッセージボトル
靴の下で濡れた砂がキュッと鳴き、繋いだ手に小さく力がこもった。
「今のは俺の腹じゃねぇぞ」
「知ってるよ」
ふふふ、とやわらかく笑うようになったのはいつからだったか。卒業後、休日だけの半同棲を経て、毎日同じ部屋に帰り、同じベッドで眠るようになった頃からだろうか。聞いてみても、『特に変わりはないと思うが?』などと言われそうだけど。
九月の海は、気温は夏のまま、日はまだ高いのに水だけがもう冷たい。水着を着てきたが、水に入って遊ぶのは難しいだろう。記念日に来られたら、と毎年思うのに、いつも仕事の関係で前後してしまい、今年は特に遅かったのだ。
「後で花火だけでもしようか」
俺の考えを読み取ったかのように、飯田が微笑んだ。テトラポッドの影がその角張った脹脛に落ち、吹き抜ける風はもう秋の予感を載せていた。
過ぎゆく季節を惜しむ気持ちは飯田の隣で覚えた。次の季節を迎える楽しみも、来年の約束のあたたかさも。
飯田の足元を見つめていたら、その向こうに何か光るものがちらついた。二人で近づけば、テトラポッドに打ち寄せられるようにガラスの瓶のようなものが浮いている。海に入り捕まえてみると、中には紙が収められていた。
あなたの幸せをいつまでも願っています。
ノートの切れ端に書かれた言葉は、拾った人に向けたものか、特定の誰かに向けたものかはわからないけれど。
「ふむ、このまま捨てるのも忍びないな」
見知らぬ誰かの気持ちでも置き去りにしたくない。そんな飯田の優しさが愛おしくて、身をすり寄せる。
「宛先のない手紙を送るところみたいなの、あったよな」
飯田が以前教えてくれた、離島にある施設だっただろうか。うろ覚えでも、飯田はすぐにわかってくれた。
「ああ! なら、あとで住所を調べて宿の売店から出してみよう」
膝下を冷たい水に浸したまま頷きあい、人目がないのをいいことに、そのまま唇を重ねた。
あの日、幸せをただ願うだけじゃ足りなくなった。飯田も足りないと思ってくれていた。そんなことを思い出す。
離れた唇の間に笑いがこぼれた。好きだよ、俺も好きだ、と言い交わしてから、ガラス瓶を持ったまま砂浜に上がり、歩き出す。
どちらからともなく繋いだ手は冷たかったけれど、すぐにまた温かくなった。
おわり