2025年夏 轟飯ドロライ連作掌編

⑦背中・エアコン・ありがとう

 いいだ、と呼ばれ、大好きな手が背中を撫で、揺する。腕の下には硬い感触。机に突っ伏して眠っていたようだ。
 顔を上げると、時計の表示は、待ち合わせの時間をとっくに過ぎていた。轟くんを駅まで迎えにいって寮まで一緒に戻るという、夏休み最後の約束。……それを反故にした。
 立ち上がり、「誠に申し訳ない」と頭を下げる。
「気にすんなよ。鍵もかかってなかったし、お疲れだな」
「すまない、昨日は遅くまで活動報告をまとめていたんだ」
 そう弁解してから、「大阪はどうだった?」と聞く。
 大戦後、インターン先がなくなった轟くんは、自分には足りないことがまだ多いからと、いろんなヒーローの事務所を武者修行のように回っている。今回は、切島くんにその話を聞いたファットガムからの指名だった。
 たくさんの人に轟くんがどんな人なのかを知ってもらえるのは喜ばしい。血縁でも生い立ちでも悲劇でもなく、本人を見てくれる人がもっと増えるといい。だから、いない日が続くと少しさみしいのは内緒だ。
「暑くてさ、キミはエアコンヒーローやなって喜ばれたよ」
 今年になってやっと決めた二つ名を簡単に言い当てられたのに、轟くんはとても嬉しそうだった。手柄より真っ先にこんな話をしてくれる轟くんだから、きっと好きになった。理由は他にもたくさんあるけれど。
「まだおまえと緑谷以外、誰にも教えてなかったのにな」
「それだけピッタリということなんだろう」
 身支度を整えてから階下に降りていくと、おはよう、おかえり、お疲れ様、と迎えられた。みんなと話す轟くんは、いつもきらきらと柔らかい光を放っている。このままどこかへと攫ってしまえたらいいのに、なんて考えていると、ばち、と視線が合った。だが、そこで声がかかる。
「夏休みも最後だしカラオケ行こっかって話してたんだけど、轟と委員長もどう?」
「また今度な。飯田と二人だけで出かける約束してるんだ」
 すぐに断った轟くんに驚いていると、耳打ちされる。
「俺もずっと会いたかったから。勝手に決めて悪ぃ」
「ううん。俺もきみと二人で過ごしたかったんだ」
 ありがとう、と抱きついて、耳の付け根にキスをする。
 わあっと色めき立つ声に我に返った頃には遅かった。
 逃げるぞ、と轟くんが僕の手を掴み、血の気の引いた頬がまた熱くなる。逃すかよ、緑谷呼べ、と誰かが叫び——
 僕たちの最後の夏休みは壮絶な鬼ごっことみんなからの事情聴取と祝福、そして騒ぎを聞きつけた相澤先生に書かされた反省文で締めくくられることとなったのだった。