③汗・分け合う・コースター
最初ははずみだった。
廊下から、ドドド、と響く複数の足音。それを注意するべく階段の踊り場から引き返そうとしたところで、頭上がふっと暗くなり、すぐに明るくなったかと思えば、目の前に汗だくの轟くんが降り立っていた。
『飯田、匿ってくれ』
同じ足音が引き返してくる。飛び降りてくるなんて危ないだろうとたしなめる間もなく、とっさに腕の中に囲い込んで、壁に押し付けた。すっぽりと、とはいかないから、腕で髪を隠し、どこ行っちゃったんだろ、と口々に不思議がる声が遠ざかっていくのを確認してから離れる。
ぼさぼさにしてしまった紅白の髪を整えてやっていると、『去年もこんなことあったな』と足音の去っていった方を見あげながら、轟くんは疲弊した声で呟いた。
『でも、今日は爆豪がいなくてよかった』
そして、安心し切ったその顔に込み上げるものを抑えきれず、僕はまた轟くんを抱きしめていた。
もとより轟くんの身体に触れることは多かった。腕を貸したり、肩を叩いたり——背負って走ったことも、あった。
それでも抱きしめることはなかったのだ。
必死に言い訳を探していると、轟くんの腕が僕の背中に回され、体重がわずかに預けられる。
『ちがったか?』
『ちがわない』
即答すれば、鳩尾がふわりと軽くなる。ジェットコースターが頂点から加速をつけて下降するような浮遊感。何かが始まったような、でもまだ掴めないような。衣替えもまだ先なのに、分け合う熱にシャツの襟が汗ばんでいった。
『言い忘れてた。ありがとう、助かった』
『俺でよければ、いつでも』
そして、そんなことを言ったせいか、僕は轟くんを抱きしめる権利を、たぶん、得てしまった。
だけど、人目を忍んでする抱擁は、きっと期間限定のものだ。スピードと重力に振り回されて叫びながらあっという間に終点に着いてしまうように、卒業というタイムリミットはすぐそこだ。意識すると、やはり胸が詰まる。
轟くんには、気が早い、だとか、まだ何ヶ月もあるだろう、だとか、気休めをいくらでも言えるのに。
飯田、と腕の中の轟くんがまた呼びかける。だけど、五日と十時間ぶりの抱擁をまだ解きたくない。
……この気持ちの正体を、僕は知っている気がする。いや、あの日にはもう知っていた。轟くんはどうだろう。
答え合わせは、いつかできるだろうか。