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なんでもない日に半田へのもやもやとしていた気持ちをはっきりと自覚するロナルドと、それにいち早く気づく半田の話。2022年1月発行の半田桃×ロナルドアンソロジー『俺とアイツの戦いの記録』(会合さま主催)に寄稿した小説です。素敵な企画に呼んでいただきありがとうございました!


「ち、よ、こ、れ、い、と、だバカめぇ〜」
「バカは余計じゃ!」
 もう一度振りかぶってパーを出して、今度は勝てた。大股で、ぱ、い、なっ、ぷ、る、と数えながら進むけれど、半田はまだ俺の手の届かないところからべえっと舌を突き出して煽ってくる。
 ジャンケンが特別弱いということもないはずだ。ただ、今日は半田に連敗していて、やっと取り戻せた五歩分でも追いつくにはまだまだ足りなかった。
 完全に悪ノリだった。いつもの三人で軽く飲んで、これから出張の前日移動だというカメ谷をなぜかふたりでホームまで見送った。そして、テンションが上がって発進した新幹線を追いかけて無人のホームをふたりで走っていたら、急にひどく酔いが回った。バカめバカめと俺を罵ってた半田も結局青い顔をしてたから、多分似たような状態だったのだろう。酔い覚ましに歩かねえ? と提案したらすんなり乗ってくれた。
 途中のコンビニでふたり分の飲み物を買って、半田にボトルを一本渡すと、悪い、と小声で言うから、やっぱり事務所で休んでくか、と訊くと、やめておく、と言葉少なに固辞された。いつもは馬鹿みたいに押しかけるくせに、よほど具合が悪いのか、と冷たいスポーツドリンクをゆっくりと飲みながら観察していると、半田も夜風と水分のおかげで顔色が少しずつ戻ってきているようだった。
 目的地の公園は寒空の下でジョギングに励む人たちがまばらにいるだけで、街灯にやわらかく照らされた枯れ木と水位が下がって砂利の露出した河原がなんとも寂しげだった。満月に近い淡い月明かりも手伝って遊歩道に暗がりはないけれど、一歩踏み外してしまえば別世界のように影がひしめいていて、どことなく不気味でもある。
 どうしてこんなことをしているのか、よくわからない。ただ、公園の端まで歩いて折り返したところでいきなりジャンケンを仕掛けられて、とっさに出したらあっさり負けた。そして、ぐ、り、こ、と言いながらバカでかい歩幅で踏み出して、くるりと振り返った時の半田の得意げな顔にめちゃくちゃ腹がたって、今度は俺のほうから仕掛けると、また負けた。
「おかしいだろ、イカサマすんな」
「ジャンケンでどうやってイカサマをすると言うのだ! そこでおとなしく俺の背中を見つめていろぉ〜」
 こっちを指差して背中なんかまったく見せていない状態でそんなことを言うあたり、まだ酔ってるらしい。上機嫌な半田はいつも以上にめんどくさい。
 だけど、強制的に服を持っていかれたりしないジャンケンは新鮮で、ちょっと楽しくなってきていた。
 ようやく勝ち取った五文字を進む。バカ笑いは聞こえてくるのに、表情がもうあんまり見えない。手が示すかたちは多分わかる。
「ズルはするなよ、ロナルドォー‼」
「してねえ‼ そもそもなんでこんなこと」
 勝てた。三歩進むと半田の心底楽しそうな表情がまた見えるけど、バカなの、と呟いてももう届かない。
 俺とふたりでいるの時の半田の態度がカメ谷と三人の時とはまたちょっと違うというのには、いつだったか酔っ払った半田がおかしな電話をかけてきてから、なにこいつ訳わかんねえ、と見ているうちに気づいてしまった。というより、そうだとなんか嬉しいかも、と勝手に頬が緩んだ頃には手遅れだった。嫌われてるわけじゃないのはなんとなく知ってたし、それが確信になったのはよかった。でも「いまが楽しい」と言ってたのだってカメ谷も込みでそうなのだろう。だから、俺の中で芽生えた妙ななにかについて、別に誰かに確認したり相談したりするつもりはないし、それよりなんで俺だけが半田相手にこんなこそばゆくて甘ったるい気分にさせられなきゃならないんだ、とやっぱり腹がたった。
 負けた。遠ざかる半田が何歩進んだのかは見ていなかった。じゃーんけーん、ぽん、とふたりの声がこだまする。そろそろ煩いかもしれない、と「あいこ」の次は声のボリュームを落とすと、半田も同じことを考えたのかやや控えめな合図が重なった。六歩遠ざかる半田の背中がまた小さくなる。手のかたちもよく見えなくなったけれど、意地で見分けて次は三歩進み、そのまた次は引き離される。
 そのうち夜の公園にひとり取り残された。本当は走っていけば追いつけるところにいるのはわかってる。だけど、半田のコートの深緑が闇に溶けてしまいそうで、心臓だけがどくどくと駆けはじめる。あんなに愉快そうだったあいつの表情も、目を凝らさないともうよく見えない。
 また負けた。半田が離れていくのに動けない。
 さっきまで、バカバカしくて、楽しかっただけなのに。
 酔ってる自覚はあるのにしんみりと沈んでいく思考をうまく引き戻せない。
 酒を飲んで深夜まで遊んで、だけど遊んでる内容はまるでガキで、変わってしまったものと変わらないものが不思議と混ざっている。変化自体は——それこそ、俺の気持ちなんかもだけど——別に全部は悪くはないはずだし、きっと当たり前にこれからもたくさんあるだろう。
 たとえば半田が出世して副隊長とか隊長とか本部勤めとかになったら、とか。
 兄貴のような縦ラインの制服や、本部長さんのようなマントを羽織った中年の半田。絶対カッコいいし似合うだろうな、悔しいけれど。だけど、いまほどには会えなくなるだろう。まあ、変な悪戯が減るのはいいはずだ。お互いのためにも。
 俺にだってそのうち後輩もできるだろうし、事務所もなんかデカくしたりして、頑張って本だってもっと書いて、売れてほしい、けど、どうだろう。書けるかな。売れるかな。それとか、ほかにも思いもよらない出来事だってまたあるかもしれない。たとえば、「退治しそこなったバカ吸血鬼に転がり込まれる」レベルの天変地異が。……そんなこと、そうそうあってたまるかよ、って思ったりもするのだけど。
 とにかく、互いに大事なものや決定的な変化がこれからもっとたくさん増えていけば、俺の中の掴みどころもないくせにぶわぶわと広がって存在感ばかり主張する、落ち着かなくて時々痛い気持ちだって、いつかまた変わってどうにかなってくれるかもしれない。だって「俺」と「半田」だし、友達だと俺は勝手に思ってるけど、それ以上の可能性はきっとない。自分でもそんなものを望んでいるのかどうかもわからない。
 それでも。
「さみしい」
 ……違う、いまやってるこれはただのバカみたいな子供の遊びで、おかしな感傷が入る余地なんてないはずで、勝てないならさっさと降りて追いかけてしまえばいい。それなのに——
 頭がふらついて、顔を押さえながら道の端っこに立ち竦んでしまう。横を駆け抜けていく人が驚いて振り向くけれど、大丈夫です、と手を挙げると頷いてそのまま走っていった。尻ポケットにべこべこに潰して入れてあったペットボトルの中身はほとんど残っていなくて、飲んでも全然足りない。遠くに見える三角の橋と俺の間のどこかに半田がいる。空は高くて、月は小さくて、風が冷たくて、地面は埃っぽい。
 頭を振ってもう一度前を向くと、半田がまださっきと同じ通りを挟んだ向こう側に見える。ぶんぶん、と手を振ると、またじゃんけんの構えを取って、まだやんのかよ、とひとりでに笑いが漏れた。
 負けた。なのに、半田が近づいてきた気がした。勘違いかもしれない。もう一度、今度は勝って、六歩進む。
 ち、よ、こ、れ、い、との代わりに「おいていくな」と口パクで言ってみる。さみしい。ムカつく。負けた。待機。勝った。五文字、「バカ半田」。あいこ。もう一回、またあいこ。次もダメならもうやめよう、そう思って出したグーで勝ってしまった。三歩進む。
 す、き、だ。
 とん、とん、とん、と両足を揃えてから気づく。
 好き、ってこんな感じでいいんだっけ。
 ドッと汗が噴き出る。風に熱が奪われるそばから次から次へと水滴が落ち、髪の生え際や中のほうまでずっとじんわり熱くて首筋や背中までじっとりしてくる。ボトルを開けても空で、動きの鈍った指先から蓋が転げ落ちる。心臓が胸を破って飛び出てきそうで、俺は膝をついた。土埃に少し咳込むと、涙が出てきて止まらない。背中を丸めても全然落ち着かない。
 大地と一体になる勢いで縮こまって、嵐が去るのを待った。
 だから、気づかなかった。
「まだ酔っているのか」
 顔を上げると黒いスニーカーに黒いジーンズが視界に入る。そのまま視線を上に向けていく。深緑のコートに黒いタートルネックの下のがっしりとした首。下げたマスクから覗く大きな牙、すっきりとした鼻と眉。そして、やわらかい逆光の中でもきらりと瞬く金色の瞳がじっと見つめていた。
 なんだよ、それ。そんな綺麗な顔、俺は知らない。
 半田が呆然と固まる俺の隣にしゃがみ込んで、背中をさする。中身の半分残っているボトルを差し出してくれて、いいのか、と尋ねると、貸しだ、と鼻を鳴らして言い捨てて、ハンカチを取り出して額を拭ってくれた。
「情けないツラが更に無様だな」
 埃を払った面を中に折りたたんでから目元もそっと拭いて、よし、と立ち上がった半田を、俺は膝をついたまま見上げる。飲まないのか、と促されてボトルを渡されたことを思い出し、ふた口ほど飲む。
「なんで」
 なんで戻ってきたの。なんでやさしいの。なんで——
「やっぱり俺のこと、笑いにきたの?」
 すっと細められた目元にどきりとする。
「教えてやろう。『パイナップル』は六文字だ。貴様はずっと五文字で進んでいたから、俺との差が出すぎたのだ。そっ、それを正しに戻ってきた、それだけだ」
「はあ」
 どうして半田が真っ赤になっているのかわからない。俺が間違えたのよりも明らかに多い歩数でここまで戻ってきた、そんなちいさな不正にそこまで動揺するものだろうか。
「それに、俺はバカではないぞ。バカなのは貴様だ」
 半田が懐からなにかを取り出した。
「双眼鏡? それ、持ち歩いてんの?」
「なにか問題があるのか」
「ないけど」
 でも、それじゃあ、もしかして。
「貴様が倒れる前に言っていたことだが」
「倒れてねえけど」
 あの口パクを見られていた。なんとか話を逸らせないかと入れたツッコミを無視して半田がもう一度しゃがみ、俺の肩に手を置いた。
「あれは、酔っ払いのたわ言として聞き流したほうがいいのか」
 当たり前だろ、と言いかけて止まってしまう。半田が片膝をついて、ずい、と顔を寄せてきたからだ。
「選べ」
「なにを」
「撤回するかどうか」
 半田の手が肩を強く掴んで、少し痛い。だけど離してほしくない。
 顔が近い。近いけど、嫌じゃない。
 どうかしてる、撤回したくないだなんて。
「お前は」
 揺れる瞳をまっすぐ捉える。
「どっちが嬉しいの?」
 舌打ちとともに眉がキッと歪む。
「駆け引きのつもりか」
 半田の表情がわずかにしぼんで、視線がまた彷徨う。
「できるかよ、そんなこと」
 肩に置かれた手に手を重ねてみた。骨ばっていて、器用で、頼りになる手だ。現場で刀を振るっているところもよく見るし、指さされたり頬をつついたりされるのはしょっちゅうだ。それでも、こうして触ったことはほとんどない。少し冷たかった皮膚同士が互いに熱を与え合ってじわじわと温まり、半田の顔に疑問符が浮かぶ。
「あのさ、大人になったらいろいろ変わっちゃうだろ」
「俺たちはもうとっくに大人だ」
「でもまだ、もっと大人になる」
「……そうだな」
「半田」
 重ねた手を軽く握ってみても拒否されなかった。
「おいてかないでよ」
 目が丸く丸く見開かれる。ゆらゆら揺れるふたつの月。
 これ以上は怒られるかな。怒られるだろうな。
 怒られても、いいや。
 握った手をほどいて、胴体に腕を回す。なにやってるんだろう、とぼんやりとした疑問が頭の奥にこぽりと浮上してはぷちんと弾けていく。
「おい、バカ‼ どうしたのだ」
 半田のちょっと焦った声が喉から胸に響いて、くっつけたおでこがくすぐったい。コートとセーターのあいだの隙間があったかくて、目の奥からツンとした痛みがじわりと広がる。
「うん、わかんねえ」
「……さっき言っていた、好き、とはどういうことだ」
 やっぱりそこは流してくれないのか。まあ、そうだよな。
「それもよくわかんねえ。でも一緒にいたら楽しいし、嬉しいって、ずっと思ってた」
「貴様はアホなのか」
 それでも突き放そうとはしない半田はやさしい。たまにしかやさしくないけど。酔った時とか。いまもまだ、酔ってたりするんだろうか。
「だから聞いたのに。お前はどっちがいいのって」
「俺は」
 肩に置かれていた手がいつのまにか背中を抱いていて、もう片方の手は頭の後ろで俺の髪をぐしゃりと掴んでいる。セーターはやわらかくて、いい匂いがして、顔に押しつけられると少し苦しい。
 半田とこんなふうに抱きあうなんて、想像したこともなかった。
 なんか、いいな。
「俺にも、よくわからん」
「わからん、って」
 なんだ。同じなんじゃん。
 くく、と喉から声がこぼれると、半田に勢いよく引き剥がされた。
 じろじろと顔をあらためられて、いたたまれない。
 詰めた息をやっと吐き出した半田が肩を掴む力を緩めた。
「……泣いているのかと思った」
「気にすんの? いまさら、お前が?」
 先に立ち上がった半田が差し伸べた手に掴まってゆっくりと身体を起こす。そして、なんとなく手を取ったまましばらく見つめあっていると、半田が急に顔全体をぐにゃりと歪めて肩を震わせはじめた。顔を逸らした瞬間に視界に捉えた目尻がきらりと光った。
「えっ、おま、ちょっと」
 しかし、焦って両肩を掴んで顔をもう一度覗き込むと、思っていたのとは真逆の表情と対面した。
「ッ、ハ、ウハハハハハ‼」
 びっ……くりした。
「あーもう‼ お前なんなの⁉ いきなりツボって、近所迷惑だろ黙れ黙れ黙れ」
 揺さぶっても揺さぶっても涙を滲ませて笑い続ける半田は正直だいぶ不気味だったけれど。
「クソッ、楽しそうだな、お前」
 俺の言葉に半田は、ハッ、と笑うのをやめた。そして、カタカタと歯車が回っているような音が聞こえてきそうなほど微動だにしないままの半田がまた動きはじめるのを、俺は待った。
「そうだな」
 やがて、このまま夜が明けてしまうのではないかと思うくらいの長い長い沈黙のあと、半田がやっとポツリと話しはじめた。
「お前といるのは、楽しい」
 改めて言葉にされると結構照れる。って、それはさっき俺も言ってた。うわ、恥ずかしい——
「特別に楽しいし、もっと違う気持ちもある」
 半田は俺の手を取って、ああでもない、こうでもない、とこねくり回した挙句、ようやくするりと指を絡めて握った。綺麗な長い指があるべきところに収まるように、手の甲に走る筋の間にぴったりと重なる。
「貴様の泣き顔はスカッとするが、それ以外の顔も全部見ていたい、と思う」
「前半が最悪なんだよ、アホか」
 したいようにさせてる俺も大概だと、いろんな人に言われるのも無理はない。だからって、そこはなにも変わらないのだけど。
 半田の顔が近づいて、今度は止まらなかった。俺も、止めなかった。
 冷たい唇はやわらかくて、さっきしゃがんでいたからか、ちょっと埃っぽい。手がぴくりと跳ね、絡められた指がわずかに緩んだ。
「唇が荒れているぞ」
「えっ、マジ」
 もう一度唇と唇が重ねられて、離れた。
 半田とキスをした。初めてと、二回目と。
 そうか、半田も。
 遅ればせながら理解が追いつく。
 突然、感じたことのない衝動に見舞われて、俺は身を捩った。ぐるぐると走り回りたくなったけれど半田の手も離したくない。
「おい、急にジタバタするな」
「いや、だって。好き、なの? 俺のこと」
 一度そう言葉にすると、胸の中が落ち着かなくて痛くて爆発しそうになる。
「撤回はしないぞ」
「いや、俺だってしないし」
 半田の声が不思議とやさしかったせいか、また汗が噴き出してきた。
 手がびしょびしょだ。気持ち悪くないのかな。
「気持ち悪くはないな。間抜けだとしか思わん」
「ワー声に出てた」
 手を離してもらって、ジーンズの太ももでしつこいくらい拭く。半田はその間、聞き分けのいい犬みたいにじっと待っていた。
「これからどうしよう」
「貴様はどうしたい?」
 半田は頬を染めて、それでも目を逸らさなかった。
 もっと一緒にいたい。だけど、ふたりっきりで、好き同士で、なにをするの? 夜景とか、見るの? 半田と?
 それはなんか、違う気がした。
「えっと……じゃあ、うち来る? へっ、変な意味じゃないぜ、ドラ公もジョンも出てるけどメビヤツとキンデメはいるし‼ うん、だから、ふたりでババ抜きとか、しようぜ……」
 ぱちぱちぱち、と半田が瞬きをして、口がニヤリと意地悪く開く。そして、真っ白な犬歯が月の光を捉えて鈍くぎらついて、人差し指がビシッと俺の目の前に突きつけられた。
「バ〜〜〜カめえ〜ふたりババ抜きはこの世で最も不毛な行為のひとつだァ〜〜〜」
「エーン‼ じゃあどうしろってんだよぉ」
「ム、そうだな、貴様の好きなUNO……もふたりでは不毛だからアルプス一万尺とか……?」
「テメーもいい勝負じゃねえか」
 バカみたいな言い争いをしながら俺たちは歩き出した。いつの間にか手はまたしっかりと繋ぎ直されていた。空は高くて、月は小さくて、風が冷たくて、半田があったかい。
「また『グリコ』する?」
 ぎゅ、と手に力がこもる。
「いまは、いい」
 もうすぐ公園を抜けて駅のほうへと続く通りに出る。
 軽く肩をぶつけてみると、ぶつけ返される。足元がふわふわとトランポリンとかボールプールとかそんなところを歩いてるみたいで、おかしくなって噴き出すと半田も続いて笑った。
酔いなんか、とっくに醒めていた。
「カメ谷になんて言えばいいかな」
「付き合いはじめた、でいいだろう」
 もう言い切っちゃっていいのか。横目で盗み見ると、また耳まで真っ赤になっている。
「そっか。じゃあ、改めてよろしくな、半田」
「フン、いまさらだな」
「素直じゃねえー」
 笑い声が重なって響く。
 同じ道を揃って歩けるうちは行けるところまで行ってみたい、だなんて大げさなのだろうけど。
「キス、もう一回したい」
 本当に夢じゃないのか確かめてみたくなってそう呟くと、半田が止まった。そして、走っていくひとを避けて、端の方へと手を引かれた。えっ、こんなところで、とあたりを見回していると、顎をそっと抑えられて引き戻された。
「なんだよ——」
 ふに。
 さっきよりも深く唇が押しつけられて、硬い牙が当たる。未知の感触がちょっと面白い。少し力を入れて唇を押し返すと、ふっ、と緩んで、同じように力を抜くと、あむ、と軽く引っ張るように下唇を食まれ、最後に、ちゅ、とささやかな音を立てて離れていった。
「なんか上手くねえ?」
「こんなものだろう」
 また偉そうにふんぞり返るのかと思ったら、半田は恥ずかしそうに目を逸らした。
「……可愛いな、お前」
「うるさいぞ」
 手をギリギリと締めつけられて、ギブギブギブと腕を叩くと半田が隣でふっ、と笑う。そして、もう一度だけギリッと力を込めてからするりと手を解いた。
「ダッツ買ってこーぜ」
「よし、俺のぶんは貴様に選ばせてやる」
「じゃあ、俺のはお前が選べよな」
 手の甲と手の甲がぶつかって、指と指が迷ってくるくると踊って絡み、やがてもう一度、手のひらと手のひらが合わさった。
 ビルの谷間の向こうに街の灯が暖かい。息を少しだけひそめて、俺たちは横断歩道を渡った。

おしまい