1巻アカジャ(エア握手会)で「退治人じゃなかったらロックスター」と言っていたロナルドくん&ファンブック情報の「赤いギター」に着想を得ています。成人指定ではないけどバッチリ事後。カメ谷にわりと人の心があります。初出Privatter、2022.05.08
「もし俺が退治人やってなかったらさ」
いつもより暗い声で切り出したロナルドの髪にカーテンの隙間から差し込む街灯の光がきらきらと乱反射した。付き合い始めてから時々うちに泊りにくるようになってシングルベッドがロナルドでいっぱいになるのがまだまだ毎回面白いのに、当のロナルドは今夜は違うことで頭をいっぱいにしているようだ。
だけど、この次の言葉がなんなのか俺にはちゃんとわかってるから、言わせてなんかやらない。
「それでも俺はお前にくっついて回ってたよ」
「えっ」
「それが訊きたかったんじゃないの?」
相手の発言を先取りするなんてインタビューア失格だ。だけど、いまは仕事の顔は服とともにとっくに脱ぎ捨てている。枕に顔を埋めて、なんだよぅ、とぼやく後頭部を軽くはたいてからそっと撫で、くるんと跳ねた髪をねじって指に巻きつける。こうしていると、出会った頃とまるで変わらないけれど、あの頃はこんな関係になるなんて思ってもいなかった。己を知る童貞にも知らないことはあったのだ。ファインダー越しに捕らえていたと思っていたけれど、囚われていたのは自分だった、とか、そういうことがあるなんて。
「えー、でもたとえば俺が、なんだろう、平凡なサラリーマンとかだったら」
「そんなことで俺から逃げられると思ってるんだなあ」
指に巻きつけた髪を軽く引っ張ると、ここでついさっきまで互いにほとんど声も出さずにシーツがはがれて床に落ちるほど激しく絡み合って暴れていたのを思い出したのか、ロナルドの耳が暗がりでもわかるほど真っ赤になる。髪を離して指先で熱い耳殻をなぞると、ロナルドが恨めしげにうめいた。
「あんまり煽んなよ。ゴムも替えのシーツも、もうないんだろ?」
「ごめんごめん。お前が可愛くって、つい」
さっき思いっきり爪を立ててしまった背中に頬を寄せると、うぐ、と変な声があがる。
「カメ谷ぁ……いい加減にしろよ……」
脅しというより泣きが入って、俺はそのままロナルドの背中に頭を預けてゆったりと刻む心音に合わせて呼吸をする。周囲がぜんぶロナルドになっていくような気分があったかい。
「平凡なサラリーマンなんてのは存在しないけどね。みんなそれぞれ面白かったりつまんなかったり、そんなふうに仕事したりしなかったりして、精一杯だったり適当だったり、いろんな感じで生きてるよ」
「会社勤めの奴に言われると説得力がすごい」
感心されてしまったけれど、これだっていまではもうあまり現場に出ないが、かつては『レッドバレット』について回っていた職場の上司の受け売りだ。もちろん、彼女は現在のヒヨシ隊長のこともロナルドとの関係も知っているけれど、俺もそれをわざわざロナルドに伝えたりはしない。
「でもお前はどうだろうな。他人のために頑張りすぎる奴は会社にとって都合がいい。だから何があってもお前は会社員にはなるなよ? どこがまともな会社なのかは入ってみないとわからないし、お前にはお前のままでいてほしいから」
「いきなりこえー話すんなよ」
びくっ、と背中が跳ねた。
「お前が退治人じゃなかったら、とか言い出したんだろ? 誰かになんか言われたの?」
背中に乗りあげて素肌同士をぴったりとくっつけても、ロナルドはびくともしない。同じ男としてちょっとだけ悔しいけれど、それよりも頼もしい背中だ。俺の知らない間にできていた三本の古傷は普段はあんまり見えないけれど、とっくに位置を覚えてしまった。そこを鼻先でなぞると、ロナルドが気持ちよさそうにため息をつく。俺がつけた爪痕なんかはこんなふうに残ったりすることはないけれど、ほかの痕跡ならもう会社の資料室に保管されているバックナンバーに山ほど残してきてる。だから、いまさら気持ちがざわめいたりはしない。
「ん、別にやめるとかは考えてないけど、まあ、よくあるやつ。顔がどうの、とか。たぶん、褒めてくれてたんだろうし、悪く受け取ったらダメだよな」
おおかた、「こんなイケメンなのに退治人やってるなんてもったいない」とでも言われたのだろう。悪意がない上に、ロナルドは自分の顔があまり好きではないときている。疲れているところにでも言われたら考え込んでしまうのも無理はない。
ロナルドは強い。俺の知っている誰よりも。戦闘力だけならもっと強いひとはいくらでもいる。メンタル面だってうじうじしがちではある。それでも諦めたりしないし、他人のために動くことをいっさい厭わない。自分が『吸血鬼退治人ロナルド』であることを疑ったりすることも普段はあんまりないし、へこんだところで俺が機嫌を取ってやらなくたって、いつの間にか勝手に浮上して、多少無理をしてでも笑ってる、そんな奴だ。
だから、珍しく吐いた弱音は貴重だった。そこまで心配はしていないけれど、心を許してくれているのは少しほっとする。
「じゃあ、会社員でもなく、退治人でもなかったら、やってみたかったことってある?」
話題をわざとずらしてみると、あるっちゃある、と興味をそそられたのか話したそうに食いついてきた。
「昔から退治人一筋なんだと思ってた。ちょっと意外だな。で、何なの?」
「笑わない?」
「面白かったらメッチャ笑う」
「お前はそういう奴だよ」
くつくつと笑う声はもうあまり沈んでいない。もぞもぞと背中が動く。降りてやるとロナルドがごろりとこっちを向いた。顔はぼやけて見えるけれど、どんな表情なのかは大体わかる。ただの「もしも」の話なのに、割と本気で真剣に恥ずかしがっているのが可笑しくて、まだ笑っちゃダメだと思いつつも口元に力が入ってしまう。
「じゃあ言うぜ」
さも重大な秘密を打ち明けるかのように、ロナルドは大きく深呼吸をした。
「あのさ、俺、退治人じゃなかったらロックスターになってみたかった、なんて……な……」
恥ずかしそうに尻すぼみになる声は熱っぽくうわずっていて、具体的な行動にするほどではないけれどそこそこ強く夢見ていたんじゃないかというのがわかる。
「アイドルとかじゃないんだ?」
「うん。ちゃんとアーティストっていうか、ジャカジャカ重たい感じのオルタナティブかな」
言葉はワヤワヤだけどイメージは結構はっきりしていた。
「アイドルだって別に顔だけってわけじゃないんだけどね。でも、そっか。そういえばギター持ってたよな。まだ弾いてるの?」
布団の中の腕の筋に指を滑らせて手を握ってやると、そこはじっとりと汗ばんでいた。そろそろタオルケットに替えたほうがいい季節だ。
「あんまり。まじめにやろうと思ったら左手が結構キツかったし、いざという時に手が片方使えなかったら困るだろ? だから、たまに出して眺めてるだけ」
ロナルドのわずかにさみしそうな様子に好奇心が首をもたげた。
「やってみなよ。見てみたい、お前がギター弾いてるところ」
「マジか」
「絶対カッコいいよ。手を傷めない程度にやってみたらいいじゃん」
うーん、どうしようかな、と考え込む声は結構乗り気に聞こえる。
「お前がロックスターだったら、俺はなんなんだろうな? 専属カメラマンとパパラッチのどっちがいい?」
なんとなく続きが聞きたくて、「もしも」の話に戻してみる。
「結局写真なんだな」
ロナルドが、ふっ、と噴き出しておでことおでこがくっつけられた。
「当たり前だろ? お前のどんな姿だって俺は見てみたいし記録したいし残したいからな」
口の端にキスをすると、歯磨き粉の味がまだ残っている。
「じゃあ、パパラッチで」
「その心は?」
「お前はそのほうが楽しいだろ? 頑張って巻いてやるから地の果てまで追いかけて来いよ」
上機嫌に挑戦を叩きつけられながらうなじをそっと撫でられる。
「へえ、ロナルドのくせに言うじゃん。覚悟しとけよ」
今度はしっかり狙ってキスをすると、わずかに開いた唇に迎え討たれて、舌で口をこじ開けられた。
「今日はもうやらないんじゃなかったの?」
舌をしっかりと吸い合うキスの合間に確認してみると、ロナルドはばつが悪そうに、うー、と唸ってしまった。
「ちょっと触るくらいまで……なら、どうですか?」
「ちょっとじゃ済まないと思うけど、いいよ。しよ」
引き締まった腰のくぼみに手を滑らせると、熱くて甘くて重たい息が顔にかかる。
ロナルドが俺の背中に手を回して、もう一度唇を重ねた。
そこにはもう、ロックスターとパパラッチのふたりはいなかった。
おしまい