轟飯ドロライPP12⑤「大掃除」「好きなもの」「こたつみかん」で書かせていただきました。
大人でプロヒ、同棲一年目、初めての年末年始の話。色々と独自設定・解釈があります。また、話自体は全年齢ですが、夜の営みに言及する場面があります。
部屋王の回で飯田くんが本を床に積むタイプだと知り「意外にワルだな」とものすごく親近感を覚えてしまったので。
キリのいいところまで読み進んだ本にしおりを挟み、開けたまま顔を上げると、正面で轟くんが居眠りをしていた。難しい顔のままこたつの天板にぺたりと頬をくっつけて、食べかけのみかんの前で時折、すん、と鼻を鳴らしている。読んでいたはずの漫画は側に落ちているのか、見当たらない。
本人も知らないうちに疲れが溜まっていたのかもしれない。うなされているようなら起こしてやろうと思ったが、苦しそうには見えなかった。もう少しだけ寝かせてやることにして壁の時計を見上げると、そろそろ宅配の集荷が来てもいい時間になっている。それが終われば年内の片付けは終わりだ。
子供の頃の今の時期は、両親も兄さんも仕事が立て込んでいた記憶しかない。シフトの増員、警備強化に緊急出動の増加。だから、実家の年末は不用品の処分のみで、大掛かりな掃除は冬の終わりと学校の卒業シーズンの合間にあたる二月末にスライドしていた。その頃よりは犯罪件数も減ってきているとはいえ、僕たちも似たような働き方をしている。そこで、同棲を開始するにあたり轟くんにもこのスケジュールでいいかと提案したのが今年の春のことだった。
気が早いと驚かれたが、轟くんは『いいんじゃねえか』と受け入れてくれた。
一緒に暮らしていると細かい違いはたくさんある。かつての寮生活では気づかなかった、あるいはひとり暮らしをするようになってから獲得した、独自の習慣や生活面での悪癖。互いに頑固なところもあるから、衝突もしてきた。それでも、概ねうまくいっているんじゃないだろうか。
寝顔を眺めながらひとり振り返り満足していると、轟くんが突然カッと目を見開いて声もなく跳ね起きた。
「うわっ、どうした?」
「……飯田がいる」
「それはいるだろう」
寝起きの目をしきりに瞬かせて、轟くんは周りをぐるりと見渡した。
「漫画なら近くに落ちてるんじゃないか」
「いや、そうじゃねえ」
紅白の頭がぶんぶんと勢いよく振られる。
「夢、見てた。飯田が本の山に埋もれて見つからなくなる夢」
「それは……うん。ごめんよ」
差し出された手を取りさすると、握り返される。手のひらがほっこりと温かい。熱があるというほどではなさそうだが、同じこたつに入っているのに温かく感じるほどの差があるのが不思議だった。寝入っていたせいだろうか。
「匂いを頼りに探してたのにぜんぜん見つからなかったんだ」
「匂い?」
「オレンジの」
「それじゃないか?」
半分になったみかんを指さすと、あー、と唸りながら轟くんはまたこたつの天板にぺたりと顔を伏せてしまった。握られた手を軽く握り返してから離す。
「ちょっと待ってろ」
立ち上がってこたつから出ると、部屋は思ったよりも冷えていた。ソファに放られていたカーディガンを羽織り、ウォーターサーバーからふたり分のグラスに水をついで、ひとつ手渡す。
「まだ寝るならソファに移動しなよ。毛布持ってこようか?」
ん、と曖昧に返事をしつつ、轟くんはグラスの中身を飲み干した。
「目、覚めた」
「ならいいが」
轟くんの悪夢には心当たりがあった。それは、僕のせいだ。
けして狭くはないはずの自室の床に本の山がいくつもできてしまったのは、単に忙しくて整理が追いつかなかったからだ。訪れるたびに床から自生するように増えていったその山たちに怪訝な顔を見せつつも、轟くんはしばらくなにも言わなかった。だが、いわゆる夜の営みの際にベッドを激しく揺らされすぎて床に積んだ本が崩れてしまうことが相次ぎ、『気が散るからなんとかしてくれ』と苦言を呈されてしまったのが不用品処分をすると決めていた日の直前のこと。
これはまずいと本腰を入れ、轟くんに監視してもらいながら古いものから整理し、床にそびえる山を二つにまで減らすのに、朝から始めてお昼を完全に過ぎるまでかかってしまった。だけど、同じ本を三分以上開いて眺めていたら止めてほしいと頼み、ストップウォッチ片手に見張ってもらっていたおかげでその程度の時間に収まったのだ。
仕事でも使えそうなものは事務所の資料室へ、それ以外は古書店へと送る手筈となっていて、手伝ってもらいながら箱詰めも済ませた。そして、午後は轟くんの部屋で細々としたものを処分したが、スポンサーから届いた過去の資料や着古した服、頂き物のお菓子の空き箱や缶がたくさんあった以外には捨てるものがほとんどなく、あっという間に終わってしまった。その差に愕然としていると、『引っ越したばっかりで物もそんなに増えねえだろ』と追い打ちをかけられた。おかげでこうして寛いでいられるのだけど。
食べ残していたみかんをひと房口に放り込み、轟くんが時計を見上げた。
「集荷、もう来たか?」
「まだだよ。そろそろだと思うが」
なんとなく揃ってドアのほうを見遣った。待ち人の気配はまだない。
「……いっぱい手放させちまったな」
やや浮かない顔で告げられ、本のことだと理解するのに数秒かかる。
「どのみち整理するつもりだったんだ。ずっと大切にしているものは取ってあるし、場所を空けないと次のものが買えないだろう? だから、心配しないでくれ」
「そうなのか」
「そうだよ。それに、躓いたりしたら危ないものな。整理するのを先延ばしにしがちな俺が悪いし、指摘してくれて助かった」
うん、と頷く表情はすっかり和らいでいる。
「なあ、今日はもう本当に何もしなくていいのか?」
「その予定だったけれど、何か気になることでも?」
思いっきり伸びをしてから苦笑とともに返ってきたのは、意外な言葉だった。
「やっぱり大掃除しねえと落ちつかねえかも。実際やってみないとわからなかった」
「今からでもするかい? まずは買い物に行かないといけないが」
無理があるんじゃないか、と時計を見ながら答えれば、「ちょっと厳しいよな」とため息とともに告げられる。
「……実家じゃ姉さんがいつも張り切っててさ。ガキの頃でも、その時だけは手伝わせてもらえてたんだ。親父もわざわざ休み取ってたな、そういえば」
付き合いはじめてから数年は経っているのに、轟くんが家族の昔話を時々するようになったのは最近のことだ。思えば、引越しをして、互いの生活に相手が組み込まれていることに慣れてきた頃からだった。習慣や癖がぶつかってはすり合わせたり、逆に同じものを見つけては笑いあったりするたびに、荒涼とした浜辺で割れずに残っている貝殻や丸く磨かれたガラス片を砂の中から拾うように、轟くんはぽつりと話す。まともな思い出なんてほとんどないと言っていたけれど、表情はいつも穏やかだ。懐かしんだり惜しんだりするというよりは、ただ『見つけたよ』とだけ伝えてくれているように思う。だから僕も、いちいち傷ついたり重く受け止めたりはしないようにしていた。
「なら、集荷が済んだら買い物に行って、台所だけでも掃除をしようか」
そうだな、と笑う轟くんに、思い出した話をひとつ披露する。
「そういえば、古来の風習では大掃除は単なる掃除ではなくて、煤払いをしてかまどを清め、神様を迎えるための儀式だったんだ。ほら、きみは火も使うから、気になってしまうのかもしれないよ」
左手を掲げて冗談半分に言うと、ええ、と轟くんは戸惑った声をあげた。
「そういうの、気にするほうだったか?」
「ただの連想だよ。それに、火といえば俺の脚にも関係がある。なら、コンロ周りくらいはやっておくべきだな!」
「飯田は」
む、と一瞬黙ってから、轟くんは目を細めて微笑んだ。
「俺が、なんだい?」
「飯田は、俺を甘やかす天才だ」
なんてことを言うんだ、と思いつつも、これは自信を持って答えられる。
「当然だよ。『好きこそはものの上手なれ』って言うだろう? だが、掃除をしようという話だったんじゃないのか」
轟くんの頭の中で何がどう飛んでつながったのか、まったく見えない。沈黙で続きを促すと、轟くんは真っ直ぐに僕を見つめ、教えてくれた。
「おまえがそうやって、決めたことを曲げてくれるのが、結構うれしい」
ひでえなって思うんだけど、と眉尻を下げ、許しを乞うように轟くんは付け加えた。
「別にひどくはないさ。強要されてるわけでもあるまいし。それに、本当にだめなことは俺だって曲げたりはしないよ」
「知ってる」
轟くんは僕の手を握り直し、口元まで持ち上げた。ふに、と当たる唇はさっき飲んだ水のせいか少し湿っていて気持ちがいい。
「いまのは何のキス?」
「言葉にできねえから」
それは少しわかる気がした。言葉で伝えることは大事だ。それでも、言葉では取りこぼしてしまうことがある。だけど、その発端は。
「掃除の話だったろ」
「掃除の話だったな」
もう一度確認すると、轟くんも神妙な顔で復唱する。
「そうだな、落ち着かないなら、来年は思い切って月頭頃に前倒しにしてしまおうか」
「もう来年の話か? そういうの、なんて言うんだったか……鬼が、ん? 鬼、だったか?」
首の後ろを揉みながら眉を寄せる轟くんに、助け舟を出す。
「鬼が笑う?」
「そう、それだ」
轟くんは食べかけのみかんをもうひと房取って、「いるか?」と訊ねた。口さみしいところだったから、ありがたくいただくことにする。さっきの轟くんの唇のようにひんやりしているのは、やはり部屋が冷えているからだろうか。
「鬼が笑っても別にいいんじゃねえか」
「災いや理不尽の象徴でも?」
唐突に述べられた見解に反論してみると、色違いの目が愉快そうに瞬いた。波に揉まれ、ぶつかって磨かれたシーグラス。そのやわらかな双眸が、僕だけに向けられている。
「怒ってるより笑ってたほうが悪いことしねえだろ」
「大笑いしながら悪さをするのかもしれないぞ。いるだろう、そういう奴はいくらでも」
「そうなったら俺たちの出番だな」
ハッとして、ふたりでサイドテーブルのほうに視線を向ける。その可能性をうっかり口にすると緊急招集が発生するというジンクスは、若手ヒーローたちの間でまことしやかに囁かれていた。思い過ごしと言い切るには、誰しも心当たりが多少ある。僕たちも例外ではない。
三秒、四秒、五秒と数え、ふたりで息を大きく吐き出す。充電ケーブルを差したままの二台のスマホは、どちらも鳴らなかった。
「やっぱり迷信だよな」
「違いないね」
つい、ふたりして笑ってしまう。ぐったりと天板に身を預けたところでインターホンが鳴った。
「じゃあ、出てくるよ」
「ああ。なんかやることあったら呼べよ」
その声を背に玄関に向かい、宅配業者の持ってきた伝票と突き合わせながら行き先ごとにダンボール箱を振り分ける。そして、支払いを済ませ業者を見送るまで、ほんの十数分程度だった。
リビングに戻ると、轟くんがまたぺたりと顔を天板に預けていた。今度は幸せそうに大きな背中を丸め、だけどさっきよりもしっかりと眠りのなかにいるようだ。
「すっかりこたつ虫だな、君は」
このまま寝かせておくのは身体に悪いだろう。だが、白と赤の髪の真ん中のつむじをつついてみても、起きる気配がない。
「あと十分だけだぞ。起きなかったら部屋まで担いでいくからな」
本気だからな、と続けて囁けば、轟くんが、ふ、と笑った気がした。
正面ではなく隣に座りつつ、轟くんの髪を撫でる。少し伸びてきているせいで今だけ姿を見せている昔の丸みが懐かしいけれど、すっかり逞しくなった在り方も、これからさらに頼もしくなっていくであろう様も、ぜんぶ近くで見ていられると思えばまったく惜しいとは思えない。同じように、僕のことも見ていてほしいし、たくさんの時間を分け合っていきたい。この先も、ずっと。
鬼なんていくらでも笑わせておけばいい。
僕たちふたりなら、負けたりはしないのだから。
壮大な決意とともに、僕は開きっぱなしだった本を閉じ、こたつ布団の下から覗いていた漫画本も拾い上げてその上に重ねた。
一方的な約束の十分は、まだ始まったばかりだった。
おわり