なにかに気づきかけているかもしれない半田の話。半田の二十歳の誕生日前日、仕事中の回想からの211死の後。初出Privatter、2021.07.09
「こっちは終わりました!」
元気よく状況を伝える声が、真夜中の往来のざわめきをかき消すように大きく響く。
何日も続いた長雨が上がり、這い出てきた大量の下等吸血鬼の駆除に退治人連中とともに吸対も駆り出されていた。市民誘導と交通整理に当たっていた半田は、その声の主と最近仕事で顔を合わせることが増えていることに遺憾ながらも気づいていた。若手向けの現場が被るのは当然なのだろう。数十メートルほど先でカモの被り物をした人物と何やら話をしている赤いジャケットの男を横目で見遣る。
隊への配属から数か月、少しずつ大きな仕事も任せてもらえるようになってきた。かけられている期待は主にダンピールとしての生来の能力に対するものだろうが、嬉しくて誇らしい。だから、あのバカに構っている場合ではない。それは半田自身も理解していた。だけど、ヘマをしていないだろうか、どんな無様な姿を晒しているのか監視しなくては、と仕事をこなしつつも気になってしまう。
こうしていま、常に周囲に目を配っておくのも警察官の仕事なのだと、半田はロナルドの姿をちらりちらりと目で追っていた。
十数回目の説明と迂回路への案内をしながら、視界の端に雑に括った銀髪の尻尾を捉える。大きな身振り手振りがこの場から見ても騒がしい。
「ご協力ありがとうございます、お気をつけてお帰りください」
終電に向かって急ぐ人々を捌いているとあっという間に午前零時が近づいていた。近隣のビルの壁に掲げられたディスプレイが明日もこのまま晴れると示している。二十年前のその日も梅雨の晴れ間が訪れていたのだと、何度も聞かされた話を思い出して心がわずかに浮き立つ。
無線に連絡が入る。退治が終わったので集合せよとのことだった。今日も任された仕事をしっかり終えられたことに達成感を覚えながら、共に誘導に当たっていた別隊の同期に声をかけようとしたその時。
「吸血鬼の気配……!」
新しく現れたそれはかなり大きく、手強そうだ。しかも複数体いる。
半田の報告に対して、無線の向こうから待機せよと指示が飛ぶ。対象はすぐそこにいるのに、と歯噛みする一方で、冷静に考えれば理由は自明だった。ここで半田たちが持ち場を離れれば、市民に危険が及ぶ可能性がある。
半田が割り切れない思いをぐっと飲み込んだその時だった。
軽快な足音がタタタタッと近づき、そして猛烈な勢いで駆け抜けていった。ひらりと翻る赤に一瞬目を奪われる。
一瞥もくれずにバシャバシャと水たまりを蹴とばして走っていくロナルドの後ろ姿を半田は呆然と見送った。
不意に湧きあがった嫌な胸騒ぎを抑え込んでいると、同じように一本向こうの道路から複数の足音が響いてきた。他の退治人たちが別ルートで回り込んでいるようだった。ロナルドひとりで突っ込んでいったわけではない。逸る気持ちがふっと霧散して、その空白を半田は持て余す。しかし、まだまだ新米扱いの一隊員にできることは限られていた。
複数の銃声と金属音が聞こえた。思いのほか近くで交戦していることを察知して同僚と頷き合い、誘導用の看板を移動させる。近道を塞がれて苛ついたサラリーマンの集団が相方に詰め寄ったが、半田がひと睨みすると顔をひきつらせて引き下がっていった。
そうこうしているうちに、路地の向こう側の気配がひとつ、またひとつと減っていく。きっとじきに退治も終わる。あと少し、と気を引き締めた、その時だった。
一番大きな気配がこちらへと向かっているのを感知した。同時に、角を曲がってざりざりと急スピードで這い寄ってくる巨大な食虫植物と、振り回される複数の茎の先端に開く大きな顎に怯みながらも距離を詰めようとしている赤い姿が見えた。
「すいません! そっち行きました!」
そう叫ぶ声が耳に届く前に半田は交戦する旨を無線に向かって告げ、駆け出しながらマスクを引き下げて血液錠剤を噛み砕いていた。
自分の背丈の倍はある。ひとりでは倒せない。それならば。
抜刀しながら狙いを定め、蠢く足元を斬り飛ばすと、大型の下等吸血鬼はバランスを崩して建物の壁にもたれるように倒れかかった。のたうつ茎も何本かまとめて斬り払って飛び退くと、浮いたつま先を掠めるように銃弾が一発、二発、三発と撃ち込まれる。全弾命中、建物への被害はなさそうだ、と半田はひとつずつ確認した。そして、体勢を立て直して次の攻撃に備えていると、毒々しい緑色の本体がびくりと止まり、痙攣しながら棘の生えた先端とどっしりとした中心の両方から同時にざらざらと崩れていった。
吸血鬼の気配はこれで消えた。後は往来のほうにいくつか感じるが、特に騒ぎになっていないのであれば、ただの通行人だろう。交戦終了を無線越しに報せて一息ついていると、漂う灰の靄の向こう側から人影が半田の方へと駆け寄ってきた。
「やっぱり半田だったんだな! お疲れ!」
息を切らして頬を紅潮させた顔が半田の姿を見つけてふにゃりとほころんだ。
「さっき前通った時、もしかしてと思って」
「フン、貴様が取り逃がしたやつを俺が押さえてやったのだ。感謝しろ、ロナルドォ!!」
「おう、ありがとな! 助かったぜ」
ひとつ貸しだな、と勝ち誇るも効いていないようだ。やっぱお前すげーな、と無邪気にはしゃぐロナルドの様子に半田はふわりと心が軽くなり、慌てて、このバカを前にしてなごんでいる場合ではない、とぶんぶんと頭を振ってからマスクを付け直した。
ほどなくして集合せよという連絡があり、相方の姿を探すが、誘導用の看板を持って先に行ってしまったようだった。仕方なくロナルドとともに集合場所へと向かっていると、ピピピピピ、と鋭い電子音が鳴り、ロナルドがあたふたと携帯をポケットから引き抜いて音を消した。
間抜けだな、と特に気にも留めなかったが、あのさあ、半田、となにやらもじもじとしているロナルドの姿を不審に思い、半田は歩みを止めた。しかし、言いたいことがあるならはっきり言えとどやしつけてやろうと口を開こうとしたのと同時に、ロナルドが予想外の言葉を放った。
「誕生日おめでとう。ホントはメール送ろうと思ってたんだけど、今年は直接言えてよかった」
去年は遊びにもいけなかったしさあ、とにこにこと満足げに揺れているロナルドに、半田は呆気にとられた。確かに前の年は警察学校の寮にいたので誰にも会わなかったし、携帯も夜まで使えなかったのだった。それを覚えていて、気にしていたというのか。
「明日も会うのに変な奴め」
明日は休暇で、カメ谷や原出と遊びに行く予定だった。もちろんロナルドも来る。
「だって、お前といま顔合わせてるのに言わないのも逆に変だろ?」
上機嫌でスタスタと歩き始めたロナルドを、半田は追うことができなかった。
いままでもロナルドに誕生日を祝われたことはある。
朝の廊下で級友たちに混じって。放課後のコンビニで、普段はどちらも買わないような五百円のデザートを差し出されて。そして、退治人修業を始めたばかりのロナルドが、昼休みになっても机に突っ伏して寝ていたところを起こしてやった時、寝ぼけて涎を垂らした顔で言われたのが最後だっただろうか。
去年のメールは文面も覚えていなかった。
座学に訓練にくたくたに疲れ果てていて、来たのは片手に余るほどの件数だったのに返信するので精一杯だったのだ。
それを思い出した半田は、なぜかその場に立ち尽くしてしまった。
ついてこない半田を訝しんでロナルドが振り返る。
「変な顔してどうしたんだよ」
つり上がった眉がみるみるうちに歪められていく。
「えっ、そんなに嫌だったの……」
勝手に早合点して慌てふためくロナルドの顔を見ると、もやもやが晴れて、いつものスカッとした気分に加えて奇妙なむず痒さが胸の内に広がった。以前から時々去来するこの感覚は捉えどころがなく、それでいて一度現れるとしばらく消えない。半田は眉間をより険しく顰めてそれを追い払おうとした。
「えっと、ごめん……?」
「貴様は」
——俺はなにを言おうとしているのだろう。
半田は不本意な言葉がこぼれ落ちる前に踏みとどまった。
「いや、メールも寄越せ」
「へ?」
「送るつもりだったのだろう?」
「うん、いいけど」
その場でメールを打とうとするロナルドを制して、集合場所へと急ぐ。まだ仕事中なのだ。新人がふたり遊びほうけているわけにはいかない。
報告を済ませ今度こそ解散となると、退治人たちは連れ立ってギルドのほうへと去っていった。半田がその様子を何とは無しに眺めていると、ロナルドが急に振り向いて控えめに手を振った。咄嗟に頷き返すとロナルドは歯を見せて笑って、また明日、と口の動きだけで半田に合図した。
「よくやったな、半田」
隊長がバシっと背を叩く。なんとなく照れくさい。
「あいつとは知り合いか? ほれ、あの赤いの」
「ええ、まあ。高校の同級生です」
「そうか。仲良くしてやってくれよな」
「なんですか、急に」
「あっ、いや、若手同士これからも協力することもあるじゃろうて」
「はあ」
別隊の同期は既に帰署したようだった。俺らも帰るか、と隊長の気の抜けた号令とともに口々に、はい、だの、うっす、だの声が上がる。
地面はすでにほとんど乾いていて、さっきロナルドが蹴りあげて行った水たまりもずいぶんと小さくなっていた。隊の後ろにくっついて歩きながら、そこを狙って足を踏み出してみる。少しだけ波立つ水面の下は浅く、跳ねるほどの水量もない。子どもっぽいふるまいをしてしまったことに半田はバカバカしくなって、ひとり赤面した。
「おーい、半田? 迷子になるなよ?」
からかうような隊長の呼びかけに、なりませんよ、と声を張り上げながら小走りに駆けていくと、ポケットの中の携帯がメールの着信を知らせた。
◇◇◇
「クソー俺だって一回くらい半田をぎゃふんと言わせてみたかったんだよぉー」
「ウハハハハ! 百年早いわ馬鹿めぇ」
「まさかロナルドなりの反撃だったとはなー」
誕生日パーティーと称して極上の醜態を自ら晒した直後、ポールダンスの衣装を脱いで普段着に着替えたロナルドはこれでもかとクダを巻いていた。カメ谷たちが持参したケーキやつまみに加えて、ひとが集まったからとドラルクが急遽こしらえた料理を大いに楽しみ、ぐずぐずと情けなく先ほどの奇行を引きずっているロナルドの表情を肴に普段あまり飲まない酒も進む。
カメ谷にはすでにさっき撮った映像データを共有してもらっている。これでしばらく遊べるかと思うと楽しくて仕方がない。それなのにまたあの妙なむず痒さに苛まれていた半田は、馬鹿め馬鹿めと高笑いしながらケーキについていた白いチョコプレートをロナルドの口にねじ込んだ。
「うわっぷ……なんだよ、せっかくお前のところにやったのにさあ」
プレートを半分に割ってもぐもぐと咀嚼しながらロナルドが文句を垂れた。
「油断しているからだロナルドォ!!」
「意味わかんねえ……ほら半分は食えよ」
手の熱で少し溶けかかったプレートの残り半分が今度は半田の口に押し込まれる。
「ム、これもなかなかうまいな」
ただの装飾ではなく、食されることを想定してそれなりの素材で作ってあるようだった。
「なんでテメーはいつもそうなんだよ……」
しおしおとケーキをつつくロナルドの姿が可笑しくてたまらない。
いい誕生日だ、と半田は心の底から思った。
「あ、そろそろ酒ないかも」
「まだ飲むなら俺、買ってくるわ」
ケーキも食べかけなのにロナルドが申し出た。
「主催が行くの?」
「客に行かせるとドラ公があとで嫌味言ってくるんだよ」
「なら俺も行こう」
「主役が行くのかよ」
「主役だからな!」
なんだよそれ、とロナルドはぼやきつつもなに買う? と半田に笑いかけながら席を立った。
事務所の外に出るといつの間にかにわか雨が降っていたようで、たちこめる土のような青い匂いに少し頭がはっきりとしてきた。濡れたアスファルトがつややかに街灯の明かりを反射している。
手のひらを上に向けて難しい顔をしていたロナルドが、まあいっか、と誰にともなくつぶやいた。
本当に最高の気分だった。
「悪くないな」
ロナルドが目を丸くして、いきなりなんだよ、と尋ね、半田は考えていたことがそのまま口に出ていたことに気がついた。
……失言は仕方がない。もてなしてもらったらきちんとお礼を言うようにと、幼少のころから半田は母に言い含められていた。これも礼だと思えば問題ないだろう。そう気を取り直して、半田は改めてロナルドにはっきりと告げた。
「悪くない誕生日だった」
そうかよ、と目を逸らすロナルドの顔は酒のせいか少し赤く、口元がだらしなくにやけている。泣き顔はもちろんだが、こういった表情もなかなか面白いと、半田は最近よく思う。なにも変わらないようでいて、その実たくさんのことが変わっていく。半田自身さえもそうなのだろう。そんないまがとても楽しい。
「おーし、半田! ヴァミマまで競走な!」
「馬鹿めぇ、ヴァミマは目と鼻の先だろうが! それにスーパーの方がいろいろ安いぞ!」
「おう、なんでもいいから走る!」
半田をビシッと指さしたかと思うとロナルドは勢いよく走り出した。バシャバシャと水たまりを蹴りあげていく姿に半田は、そういえばロナルドに驚かされたことがないわけではなかったなと思い出し、でも絶対に教えてやるものかと固く誓った。
「勝手に行くやつがあるか、ずるいぞアホルドめぇ~」
ふわふわと酔ったまま半田も走り出した。
そして同じ水たまりを盛大に踏んで、大きな水しぶきを上げながらロナルドを追いかけて往来を走り抜けていったのだった。
おわり